現代経済学の潮流2010

池田 新介編/大垣 昌夫編/柴田 章久編/田渕 隆俊編/前多 康男編/宮尾 龍蔵編
2010年8月20日 発売
定価 3,300円(税込)
ISBN:9784492314050 / サイズ:サイズ:A5判/ページ数:400


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 日本経済学会(1997年に理論・計量経済学会から名称変更)は1968年4月に理論経済学会(1934年に日本経済学会として発足,1949年に名称変更)と日本計量経済学会(1950年に発足)を統合し新会則のもとで発足し、日本を代表する経済学の総合学会として2009年には創立75周年を迎えた。



 1959年に理論経済学会と日本計量経済学会はそれまで一部の日本の経済学者によって発行されていた学術雑誌『理論経済学』を学会誌とし、『季刊 理論経済学』と名称をあらため、1994年まで東洋経済新報社から発行を続けてきた。同誌は1995年にThe Japanese Economic Reviewと名称をあらため、当初はBasil Blackwell社から、そしてその後のWiley社によるBasil Blackwell社の買収に伴い現在はWiley社によるWiley-Blackwellから英文の学術誌として発行されている。



 『現代経済学の潮流』は、経済理論の現実的かつ実際的な応用が求められる環境のなかで、日本経済学会の公式の日本語刊行物として1996年から毎年出版されているものである。『現代経済学の潮流』はかつて『季刊 理論経済学』に発表された多くの優れた日本語論文の伝統を継承するとともに、新たに産学官民の共同の研究や情報交換の場ともなることを目指している。



 本書『現代経済学の潮流 2010』は、日本経済学会の2009年度春季大会(京都大学)・秋季大会(専修大学)に加えて、学会創立75周年を記念する2つの事業の内容を総括している。大会からは例年どおり、会長講演、石川賞講演、および3つの特別報告論文を選び、加えて2つのパネル・ディスカッションを収録している。75周年記念事業からは、日本経済新聞社と共同で実施したアンケート調査、および記念シンポジウムの内容を収めている。



 第1章「空間経済学の発展:チューネンからクルーグマンまでの二世紀」は、藤田昌久(甲南大学・経済産業研究所)会長講演に基づいてはいるものの、理論的色彩の強い書きおろし論文である。従来の都市・地域経済学、立地論および貿易論を概説し、新経済地理学や新貿易論へと発展を遂げた空間経済学を一般立地論(general location theory)として位置づけ、包括的に展望している。構成は、おおよそ次のような流れになっている。19世紀に始まるフォン・チューネンの研究は、単一中心型の都市経済モデルと工業集積に関する理論の先駆となった。その後、ウェーバーによって工業立地論として、ホテリングやクリスタラーによって商業立地論として、アロンゾによって土地利用論として、それぞれ理論化された。さらに、クルーグマンによって、産業立地の一般均衡理論が構築され、新経済地理学や新貿易論が確立したのである。こうした発展過程のなかで、藤田氏は住宅とオフィスの土地利用の一般均衡モデルや新経済地理学を取り入れた単一中心型都市モデルなどを開発し、非常に重要な貢献をしている。本章は、こうした地理的空間における経済活動の研究が発展し深化してきた流れを極めて鮮やかに描出している。



 第2章「金融危機と中央銀行の役割:ゼロ金利政策、量的緩和政策、および信用緩和政策」は、福田慎一(東京大学)による石川賞受賞講演に基づいている。 1990年代後半から2000年代前半にかけての日本における非伝統的金融政策のあり方を概観すると同時に、信用緩和政策という観点から再検証している。「流動性の罠」のもとで有効な政策として、(1)[i4]将来の政策の予想のコントロール、(2)バランスシートの規模の拡張、(3)特定資産の大量購入(信用緩和政策)、の3つが提案されている。当時日銀が行った非伝統的政策は、モラル・ハザードを伴いながらも、信用緩和政策として一定の効果を発揮したが、当時の金融危機は、流動性不足よりも、貸出の不良債権化が深刻な問題であり、この点では当時の信用緩和政策には限界があったことが指摘されている。全体として非伝統的金融政策についての優れた入門となっている。また、日銀が当時行った信用緩和政策と世界的金融危機の下で米国FRBが行った信用緩和政策は、その意義が異なっていたことも解説されており、わが国の金融政策の独自性を知ることができる。



 第3章「ネットワーク財の経済分析」は、青柳真樹(大阪大学)による特別報告をもとに書かれている。友人と同じ携帯電話を持っていると通話料金が安くなるとき、正のネットワーク外部性があるという。このように、ネットワーク外部性によって他者の消費行動が自分の効用に影響する財をネットワーク財という。本章では、ネットワーク財に関する最先端の研究の二つの流れをゲーム理論に立脚しつつ紹介している。一つは、ネットワーク財へ参加するタイミングの分析、均衡の複数性と一意性の分析、および均衡戦略の特徴づけである。また、完備・不完備情報下における同時決定・動学的モデルを通じて、均衡の複数性がもたらす協調の失敗と非効率性について詳しく説明している。もう一つは、望ましいネットワーク財の環境を実現するには、どのようなメカニズムを設計すればいいかに関する一連の研究である。ネットワーク財販売における割引導入価格、動的スキーム、価格提示スキーム、カットオフ戦略など、さまざまなメカニズムデザインの考え方を駆使して、耐戦略性と個人合理性を満たす社会選択関数の分析をしつつ、最新の研究成果を概観している。いずれの流れも示唆に富んでいて今後の発展を期待させる。



 第4章「世界観と利他的経済行動:行動経済学とマクロ経済学」は、大垣昌夫(慶應義塾大学)による特別報告である。無限の合理性をもつ利己的「経済人」を前提とする従来のモデルから離れて、ここでは、世界観―――起源、終末、倫理など広く世界に関わる見方-が人々の利他的行動と資源の均衡配分にどのような影響を与えるかが主題となる。アロー・ドヴリュー流の状態モデルを用いて、複数の世界観を確率的に信じる消費者のモデルがまず提案され、「合理的」な利他的行動が導かれる。それは一般均衡モデルに拡張され、配分の効率性が議論される。世界観に基づく行動の「合理性」がどのように論じられるべきか、また世界観アプローチが宗教や信仰心から利他性を説明するアプローチよりもどの点で優れているのかについて、周到に議論は進む。子供の成長後の幸福を考えて敢えて彼らへの分配を制限する親の利他的行動を大垣氏は「タフラブ」とよぶ。「タフラブ」に関する氏の研究に言及しながら、世界観と利他的行動に関する実証的アプローチの一端が紹介される。世界観という行動経済学的観点から利他性を捉えマクロ経済学を再構成する本章の試みは、再分配政策や社会制度を考える上でも重要な視座を与えよう。



 第5章「自然災害・人的災害と家計行動」は、澤田康幸(東京大学)による特別報告である。澤田氏は、経済理論に基づいた独創的なデータ収集や、厳密な実証分析により、開発経済学、国際経済学、応用ミクロ計量経済学の分野で、国際レベルで多くの研究を発表している。本章は、澤田氏の主要な研究課題のひとつである、自然災害と人的災害が家計の経済厚生や経済行動に及ぼす影響について、最新の研究成果を概観している。災害は大きな厚生コストを生み出すので、事前のリスク管理、事後のリスク対処が必要不可欠であり、実際に保険市場へのアクセス、所得移転、消費の削減など、さまざまな方法がとられている。しかし、多くの実証分析によれば、これらの目的のために、市場機構・非市場組織は、完全には機能しない。したがって政策介入の余地があるが、モラル・ハザードや、援助物資と緊急需要をマッチさせる方法の問題など、重要な将来の研究課題があることが論じられている。ハイチ地震、2007年からの世界金融危機など、自然災害・人的災害の問題は人類に対するチャレンジでありつづける。特に家計や個人のミクロ・データによる実証研究や、それらの研究成果に基づいた応用理論研究により、経済学者がこの分野で貢献していくために、本章が有用な入門を提供している。



 第6章は、パネル・ディスカッション「経済学の基礎としての人間研究:学史的考察」を収録している。堂目卓生(大阪大学)が報告する「経済学の基礎としての人間研究:学史的考察」をめぐって猪木武徳(国際日本文化研究センター)、大竹文雄(大阪大学)、松井彰彦(東京大学)、齊藤誠(一橋大学)が討論を行っている。堂目氏は、イギリス古典派経済学が人間の諸側面に関する研究の上に経済学を確立してきたことを明らかにする。理論領域と政策領域の相互依存関係、政策領域の背後にある価値判断や規範原理について、ヒューム、スミスからマーシャル、ケインズに至る思想を展望する一方、新古典派経済学については、ロビンズ以降、経済学が人間研究から独立し理論的に精緻になりすぎた結果、実践的な政策を提言する指向が薄れたことに危惧が表明される。猪木氏は、経済理論が人間研究に依存するという堂目氏の主張に同意し、社会が合理的な個人から成立していると仮想をするのではなく、経済学は、賢明さで人間の弱さをコントロールしていく政治過程自体を対象にすべきと主張する。大竹氏は、新古典派経済学の枠組みでも、社会や文化の影響を受けて選好が内生的に形成されるケースを取り扱えると主張する。同時に経済環境が文化や価値観に与えるチャンネルを指摘し、個人の経済行動が社会の価値観と相互依存することを踏まえて、現実的な政策提言を展開すべきであると述べる。松井氏は、これまでの経済学が人間科学を十分に基礎としてこなかったという立場である。スミスは、ヒュームの『人間本性論』のBook 1で展開した認識論を捨象することによって経済学を独立した分野として確立した反面、認識論が抜け落ちた経済学には相対性の視点が失われたと指摘する。齊藤氏は、逆に経済学が人間研究から独立して理論研究に注力してきたからこそ、実践的な政策提言が可能になったと主張し、経済効率性を基軸とした自由貿易や国家財政の健全化のための政策提言が、民主主義社会における政策決定過程において、非合理的な政治的要求に対する拮抗力の役割を担ってきたと述べる。 近年、特に行動経済学の分野で、人間研究が注目されており、このパネル・ディスカッションはそうした潮流の理解をさらに深め発展させることに役立つはずである。



 第7章は、「グローバル金融危機と金融監督規制」というタイトルのパネル・ディスカッションの内容が収録されている。酒井良清(神奈川大学)の司会によって、高田創(みずほ証券)、小山高史(農林中金)による問題提起の報告、それに対する酒井氏自らのコメントと質問、その後全体的な討論へ進行する。まず高田氏から2008年のリーマン・ショックに端を発した金融危機がどのようなものであり、その後、どのような経過を経て現在に至っているか、また今後の情勢がどのような状況になると予想されるかについての報告があり、その後で小山氏から金融市場の現状について、特に金融規制監督という立場からどのように考えることができるのかということを中心に報告がある。酒井氏からは,制度設計を考えるときに、効率性と安定性、そのバランスはどういうふうに考えたらよいのかという問題が提起されるが,今回の改革の方向は、安定性に主眼が置かれており,効率性を犠牲にしても、税金の再投入をしないという観点から議論されているという状況が説明される。日本で起きた金融危機と今回の米国発の金融危機の違いも明確に議論されており,今後の金融システムを考える上で格好の手引きとなっている。



 第8章は、日本経済学会創立75周年記念事業の一環として、日本経済新聞社と共同で行った学会員対象のアンケート調査の結果をまとめたものである。質問項目は、(1)2008年9月の米リーマン・ブラザーズの破綻を機に世界を覆った金融・経済危機をどう見るか、(2)人口減少、少子高齢化、巨額の財政赤字といった問題が存在する中で、今後の日本の経済政策、消費税、社会保障制度はどうあるべきか、(3)今後のアジア経済全体の動向はどのようなものになると予想するのか、(4)世界経済にとって克服すべき重要課題は何であるのか、等である。この他にも、経済学研究者が学問としての経済学に対してどのような意見を有しているのかについても調査を行っている。幾つかの点に関しては、経済学研究者と一般の見解の相違を調べるために、学会員および一般の双方に質問を行っている。例えば、2008年以降の経済危機への対応に際して経済学の知見がどの程度貢献してきたのかに関する質問に対しては、経済学者の半数強が「何らかの貢献がある」と肯定的に判断しているのに対し、一般では肯定的な意見は全体の2割強にとどまるという結果になる。このような結果は、経済学研究者が社会に向けて経済学の学問的成果をこれまで以上に積極的に発信する必要があることを示唆している。



 第9章は、日本経済学会創立75周年記念シンポジウム「東アジアと世界経済の将来-グローバル危機を乗り越えて」の内容を英文で収録している。2009年10月9日、政策研究大学院大学で開催されたこの国際シンポジウムでは、基調講演とパネル討論で、グローバル危機を乗り越える上で日中韓ならびに東アジア経済が抱える課題、今後果たすべき役割や将来の方向性について活発な議論が交わされている。 基調講演では、まず中国世界経済学会会長の Yongding(中国社会科学院)が、世界金融危機後も高成長を続ける中国にとって、政府投資と輸出に強く依存し国内の所得格差が著しい経済構造の変革が必要であると述べる。韓国経済学会会長のIn June Kim(ソウル国立大学校)は、通貨統合、緊急的流動性供給、為替レート安定化においてアジア諸国が協力を深めることの重要性を強調する。日本経済学会会長の藤田昌久は東アジア地域の貿易統合の進展を評価したうえで、今後は同地域がイノベーションの世界的拠点の一つとなるべく多様性を生かした知識交流を深めることを提唱する。



 続いて、河合正弘(アジア開発銀行)が座長を務めるパネル討論では、Kar-yiu Wong(ワシントン大学)が東アジアにとって輸出が成長のエンジンであることを指摘し、WTOにおける貿易自由化交渉が停滞している中で二国間主義や地域主義が先行していることに懸念を示している。Jong-Wha Lee(アジア開発銀行)は世界経済の回復の遅れ、財政・金融政策を通じた景気対策の持続可能性を東アジア経済成長のリスク要因として指摘し、消費需要を域内で強化することが必要と述べる。Muhammad Chatib Basri(インドネシア大学)はインドネシアが東アジアの生産ネットワークに組み込まれていることの重要性を指摘し、労働市場の硬直性や輸送インフラの質の改善を課題としている。木村福成(慶應義塾大学)は東アジアで生産ネットワークが発達したとはいえ、その中に参加できていない地域があって格差が生じていることや、組み込まれた地域にあっても所得水準上昇のためには多国籍企業が立地するだけでなく地場企業が参加できることが課題であると述べる。本章の議論は、経済的存在感を増す東アジアにあって、域内の研究者が知識の連携を強化することによって世界経済に対して建設的な議論を発信できる、という期待を抱かせる。



   本書所収の論文はどれも経済学のフロンティアを開拓してきた研究者の野心的な研究成果を反映している。日本経済学会75周年を記念する2つの章を含めて、全体として経済学のあり方と今後の可能性を探るうえで大きなヒントを提供するものと期待している。[i16]なお、出版にあたり『季刊 理論経済学』の当時からお世話になっている東洋経済新報社および同社出版局の川島睦保氏と中山英貴氏に感謝する。


 

  2010年7月




エディター 池田 新介(大阪大学) 
      大垣 昌夫(慶応義塾大学)    
      柴田 章久(京都大学)        
      田渕 隆俊(東京大学)        
      前多 康男(慶應義塾大学)    
      宮尾 龍蔵(神戸大学)      


 


 

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概要

日本経済学会から年1回出版される日本語版刊行物。会長講演、石川賞講演、特別報告などで構成。今回は75周年の記念アンケートや記念シンポジウムも掲載。

目次


第1章 空間経済学の発展:チューネンからクルーグマンまでの二世紀
第2章 金融危機と中央銀行の役割:ゼロ金利政策、量的緩和政策、および信用緩和政策
第3章 ネットワーク財の経済分析
第4章 世界観と利他的経済行動:行動経済学とマクロ経済学
第5章 自然災害・人的災害と家計行動
第6章 経済学の基礎としての人間研究:学史的考察
第7章 グローバル金融危機と金融監督規制
第8章 日本経済学会75周年記念事業:学会員に対するアンケート調査について
第9章 日本経済学会75周年記念シンポジウム:
    東アジアと世界経済の将来――グローバル危機を乗り越えて