ブックタイトル週刊東洋経済サンプル日本史

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概要

週刊東洋経済サンプル日本史

特集/学び直し日本史47週刊東洋経済2016.6.18ら日本の歴史や文化について質問されて、何回か立ち往生してしまったことがある。私は大学入試では世界史を選択したので、日本史については知識があいまいだった。高校の日本史教科書は事実が羅列されているだけで説明が少ないので、外国人を納得させるに十分な情報が得られない。さらに、多くの専門家による分担執筆となる教科書は、どうしても知識の断片を寄せ集めた内容になってしまう。また、中公文庫の『世界の歴史』や『岩波講座世界歴史』は20巻を超える大部なので、携帯に適さない。そこで、高校時代に用いた受験参考書の安藤達朗『大学への日本史』(研文書院)を実家の両親に頼んで送ってもらうことにした。当時は受験参考書でもマルクス主義の唯物史観の影響を受けたものが多かったが、安藤氏の作品は実証性を重視するとともに、ドイツの哲学者であるヴィルヘルム・ディルタイの解釈学の立場を取っているので、外国の知識人と話すときも共通の基盤に立つことができた。さらに本書は安藤氏が1人で書き下ろしたものなので、全体を通じてとても読みやすかった。この本は、私がモスクワの日本大使館に勤務したときにも大活躍した。数年前に私が東洋経済新報社に本書を復活させることを提案したときには、もっぱら国際社会で活躍する日本人ビジネスパーソンのための実用書という観点からであった。しかし、本書がこれだけ広く受け入れられているのには、もう一つの要因があると思う。それは、現下の日本が危機に直面していることだ。危機を克服するためには、過去の歴史を虚心坦懐に学ぶ必要があるということを、無意識のうちに多くの日本人が考えているのだと思う。特に本書は、日本史と世界史の相互連関について注視している。〈産業革命達成後の資本主義生産が行われるようになった19世紀後半において、世界史が成立したといえるだろう。そして、20世紀、とくに第二次世界大戦後においては、世界のどの国も世界の動きと切り離しては考えられなくなっている。1967(昭和42)年のイギリスのポンド切り下げが日本の株の暴落を引き起こしたことは、その象徴的な事件である。/日本史の中で、とりわけ世界の情勢が国内に大きな影響を及ぼした事件としては、大化改新(645年)と明治維新(1868年)とがあげられる。そして、この2つの事件は相似的でさえある。大化改新は、強大な唐王朝の出現に国家併呑の危険を感じ、豪族たちによって中央集権体制がとられ、急速に唐の律令制度や文化を吸収していったのだし、明治維新は、圧倒的な先進資本主義諸国進出に植民地化の危険を感じ、下級武士を中心にして中央集権体制がとられ、急速に資本主義化を達成し文化を吸収していったのである。(中略)/このことは、日本史と世界史との間に同時代的な連関があることを示し、かなり離れた位置にある社会の間にも、同一の時代には、相互に類似の現象が生じることを意味している。例えば、16~17世紀には期を同じくして、ヨーロッパと日本とが海外に乗り出しているし、17世紀には清と日本とが鎖国政策をとるに至っている。〉(実用編317㌻)。こういう日本史と世界史を統一的に見る歴史総合という発想が今後、ますます重要になってくる。本書の内容で、現代に通じる三つのテーマについてここで解説したい。具体的には、①南北朝の内乱、②日英同盟と日露戦争、③田中角栄の時代だ。①南北朝の内乱については、日本国家が分裂し、日本が滅亡する可能性をはらんだ危機だった。当時、天皇は持明院統と大覚寺統の血統から交代で擁立されることになっていた。〈1336(延元1)年に足利尊氏が後醍醐天皇を吉野に追い、持明院統の天皇を擁立したときから、1392(明徳3)年の足利義満のときに南北朝が合一するまでの時期は、後醍醐天皇の系統を引く大覚寺統の南朝(吉野朝)と京都の持明院統の北朝とが併立していたために、南北朝時代と呼ぶ。この60年に及ぶ南北朝時代は、全国各地で内乱が相次ぎ、武士は時により必要に応じて南朝や北朝についたので、争乱はいつ果てるともしれなかった。〉(教養編200㌻)。この動乱の背景には、中国に明という巨大帝国が成立し、東アジアの構造が変化したことと、日本社会の権力構造が貴族から武士と農民にシフトしたことがある。もっとも思想的には戦う貴族であった北きた畠ばたけ親ちか房ふさが危機の時代こそ答えは日本史に日本史と世界史は相互に連関している南北朝、日英同盟、角栄を解説すると