SHOE DOG (シュードッグ)
―靴にすべてを。
“限定モデル”書店にて絶賛販売中!
1980年12月2日、ナイキは22ドルの価格設定で上場を果たした。
同じ年、同じ22ドルの価格で、新興企業のアップルも上場を果たした。
激動の20年を熱狂して走り抜けたフィル・ナイトは、いま、何を思うのか。
彼が若い人たちに伝えたいこととは―
試し読み
特別ダイジェスト版をWeb限定公開中です。
お知らせ
2018.09.22NEW
著者フィル・ナイトさんに『SHOE DOG』の背景について現地取材したときの模様を東洋経済オンラインに掲載しました。
ナイキ創業者「日本人は挑戦できる人たちだ」
フィル・ナイトが「日本を熱烈に愛する」理由
ジャーナリスト
松村 太郎
2018.06.07NEW
「ゼロイチ女子」×SHOE DOG を公開しました。女子大生支援プログラムの運営メンバーが熱く語った本書の魅力とは?
2018.05.24NEW
2018.05.13
NHK BS1スペシャル「ナイキを育てた男たち~“SHOE DOG”とニッポン~」が再放送されます。
2018.04.29
NHK BS1スペシャル「ナイキを育てた男たち~“SHOE DOG”とニッポン~」放送決定!
2018.04.18
手書きPOP大賞結果発表!応募作をちりばめた特別版ポスターと20万部突破記念限定モデル発売についてお知らせいたします。
2018.04.18
NHK総合「おはよう日本」で『SHOE DOG』が紹介されました。ダイジェスト記事はこちらからどうぞ!
2018.03.10
NHK-BS1「経済フロントライン」で『SHOE DOG』が紹介されました。めったに取材を受けないフィル・ナイトが自ら語った貴重な映像です。
2018.02.25
TBSテレビ「COUNT DOWN TV」の「アーティストのお墨付き」のコーナーで、EXILEの橘ケンチさんにご紹介いただきました!ご本人が店主を務める「たちばな書店」に書評もいただいています。
2018.01.22
NHK総合「おはよう日本」の「おはBiz」のコーナーでJINS田中社長のお薦め本として『SHOE DOG』をご紹介いただきました。
2018.01.19
2017.12.14
「週刊文春 12月21日号」の「文春図書館 今週の必読」で『SHOE DOG』をご紹介いただきました。評者は増田晶文さんです。
2017.11.01
BOOK TRAILERの#5 ナイキを救った日本企業、#6 負け犬でも勝てる、#7 ビジネスとは何かを公開いたしました!
2017.10.27
「後発だった」ナイキがトップになった理由
ABCマート社長「革新し続ける頑固者は最強」
ライター
大内 ゆみ
2017.10.26
書店員の方たちのコメントを公開しました。ここでしか読めない、熱いコメントをぜひご覧ください。
2017.10.20
ロックな負け犬が世界的企業ナイキを創った
巨大ブランドを生んだ「弱者たち」の復讐劇
『SHOE DOG』翻訳者
大田黒 奉之
2017.10.16
ABCマート×SHOE DOGの特別コラボコンテンツを公開しました。現代のSHOE DOGたちの熱い思いをぜひご一読ください。
2017.10.13
ナイキ創った「ダメ男」、フィル・ナイトの魅力
ほぼ日CFOが語る「圧倒的リアリティ」とは?
ほぼ日取締役CFO
篠田 真貴子
2017.09.20
『SHOE DOG(シュードッグ)』日本版の表紙が完成しました!Amazonでもご予約いただけます。
2017.09.15
意外と知らない「ナイキと日本人」の深い関係
世界的スポーツブランドはいかに生まれたか
経営共創基盤 取締役マネージングディレクター
塩野 誠
2017.09.01
『SHOE DOG(シュードッグ)』のティザーサイトがOPENしました!
推薦コメント
フィル・ナイトについて
写真:AP/アフロ
世界最高のスポーツ用品メーカー、ナイキの創業者。1938年生まれ。オレゴン州ポートランド出身。オレゴン大学卒業。大学時代は陸上チームに所属。中距離ランナーとして、伝説のコーチ、ビル・バウワーマンの指導を受ける(バウワーマンは後にナイキの共同創業者となる)。1年間のアメリカ陸軍勤務を経て、スタンフォード大学大学院に進学。MBA(経営学修士号)取得。
1962年、オレゴンの「ブルーリボン・スポーツ」社の代表として日本のシューズ・メーカーであるオニツカを訪れ、同社の靴をアメリカで売るビジネスを始める。その後独自ブランドの「ナイキ」を立ち上げ、社名もナイキと変更。創業メンバーたちとともに、スポーツ用品界の巨人、アディダスとプーマをしのぐ企業へと同社を育て上げる。1964年から2004年まで同社のCEO、その後2016年まで会長を務める。妻ペニーとオレゴンに暮らす。
1938
フィル・ナイト誕生
1962
初来日。「ブルーリボン・スポーツ」社の代表として、神戸にあるオニツカ社を訪れる#1 大いなるハッタリ
1964
オニツカのシューズの販売を始め、最初の在庫を完売。ビル・バウワーマンと共同経営の契約をする
1965
シューズの販売を続けるかたわら、公認会計士としてプライス・ウォーターハウスに就職。会計士のデルバート・ヘイズと出会う(ヘイズは後にブルーリボンに参加)。ブルーリボン正社員第1号として、ジェフ・ジョンソンが参加#2 アスリート思考
1967
正社員第2号としてジョン・ボークが参加。第3号としてジェフ・ホリスター、第4号としてボブ・ウッデルが参加
1968
シューズ・ビジネスに専念すべく、プライス・ウォーターハウスを退社。ポートランド州立大学で会計学を教える。同大の教え子ペニー・パークスと結婚
1970
初めて株式上場を検討するも断念。日本の総合商社、日商岩井と出会う。#3 8000ドルの借金
1971
オニツカから買収提案を受ける。自社ブランドのシューズ製作を開始。自社シューズにつけるロゴマーク「スウッシュ」とブランド名「ナイキ」の誕生
1972
シカゴの展示会で「ナイキ」シューズを発表。オニツカから契約打ち切り通告を受ける#4 オニツカとの決別
1974
オニツカとの訴訟開始。専属弁護士として、ロブ・ストラッサーが会社に参加
1975
小切手の不渡りを出す。メインバンクから取引停止宣告を受ける。#5 ナイキを救った日本企業
1976
企業名をブルーリボンからナイキに変更?(公式には、ナイキの創設は1971年とされる)。創業メンバーによる経営会議「バットフェイス」発足。#6 負け犬でも勝てる
1978
関税の支払いをめぐってアメリカ政府と訴訟に。政府から2500万ドルの請求を受けたが、900万ドルの和解金を支払い決着
1979
中国への本格進出を検討
1980
12月2日、22ドルの価格設定で上場。ナイトは1億7800万ドルを手にする#7 ビジネスとは何か
2016
初の自伝『SHOE DOG』を刊行。アメリカでベストセラーとなる。